室内育ち、創部3年で躍進 聖和学園(宮城)
2008年07月04日
発足からわずか3年。早くも頭角を現した同校は、昨秋の県大会で3位に入り、東北大会に駒を進めた。今春は準々決勝で仙台育英に屈したが、県内“第3勢力”の注目株へと成長してきた。
学校の敷地内に縦、横約40メートルの室内練習場がある。内野のダイヤモンドが入る大きさで、寒さが厳しい地方には欠かせない立派な施設だ。ところが、自由に使えるグラウンドがない。1年を通じ、練習の中心は室内になる。創部当初7人だった部員は、今では100人を超す。大所帯を預かる佐藤監督は「ID野球ならぬアイデア野球」と練習のやり繰りに余念がない。
室内に投球マシン2台を設置し、4カ所での打撃練習。周囲を取り囲むようにティー打撃もできる。ネットでの仕切りを巧みに使い、投球練習場なども確保している。
全員が同時に室内に入れないため、バッテリー組、内野手、外野手組に分けたり、各学年に1時間ずつ割り当てたりと工夫する。「ハンディを跳ね返したい」と佐藤監督。室内育ちの野球部が挑戦する。
◇タイでも指導、何でも工夫
5月末、ある日の放課後。部員がバスや自転車で、約10キロ離れた名取市民球場にやってきた。整備もそこそこに、3年対2年の紅白試合が始まった。マネジャーがスコアボードを操作。マイクで選手名を告げ、照明までつける公式戦並みの舞台を演出した。
自前のグラウンドがないため、同球場や東北大の練習場を週1回程度の割合で借りている。室内では打撃中心のメニューで、守備面はグラブの出し方、ボールへの入り方といった基礎練習を徹底する。そして、月に数回という限られたグラウンド練習で、外野ノックや、内、外野の連係プレーを集中して行っている。
佐藤監督は大学を卒業後、青年海外協力隊員として2年半、タイのナショナルチームを指導し、野球の普及に努めてきた。帰国後、監督就任の打診を受け、「ゼロから野球部をつくれる機会なんて、人生の中でそう多くはない」と考えた。26歳の決断だった。
仙台二では、4番の好打者として鳴らした。守備位置はチーム事情から、左投げなのに二塁手。併殺プレーも独自の方法を編み出した。
「グラウンドがない厳しい環境に違いないが、室内練習場のない学校もある。工夫と自由な発想で克服できる」。野球後進国も経験した30歳は、開拓者精神にあふれている。
◇2強に挑戦、増す意欲
「深紅の大優勝旗が白河の関を越えるとき」という本がある。監修は元宮城県高校野球連盟理事長の故・惠美英志さん。宮城勢は昔から東北球界のリーダーで、優勝に最も近い存在であった。
71回大会では仙台育英が延長で敗れ、準優勝。85回大会はダルビッシュを擁する東北があと一歩で優勝を逃した。その翌年、大優勝旗は津軽海峡を越え、北海道に渡った。仙台育英の佐々木順一朗監督は「51回大会で三沢(青森)が勝っていれば、その後が違っていたのでは……」と東北勢の呪縛が解けない歴史を振り返る。一方、「ここ一番の力や粘りがない。二つ勝てばホッとしてしまう」と精神面の弱さを指摘する。
今夏の代表校争いは新興勢力にも気を抜けない。「聖和学園は素質のある選手が多く、調子に乗せると怖い。脅威の的」と警戒の色を強めている。高校時代から2強の底力を知る聖和の佐藤監督は、指導者になり、さらにその壁の厚さ、野球の奥深さを感じてきた。だからこそ、挑戦への意欲が増すという。「グラウンドがなくても、地元の選手だけでも工夫次第でやれるということを見せたい」。私学2強に割り込むつもりだ。
【宮城勢の選手権勝率】
51勝55敗(全国24位)▽ここ30年間 37勝30敗(同17位)



































