| 甲子園のおなじみ設備の一つである内野の大屋根。戦前はアルプススタンドすべてを覆っていたことがある。 甲子園の大屋根は最初は鉄製の「鉄傘」で、1924年の完成時から存在。はじめは50段の内野部分の全体を覆っていた。その後29年にアルプススタンドを増設。その翌々年の31年にアルプスにも鉄傘がつけられた甲子園の内野スタンド全部、全体でも3分の2近くが鉄傘で覆われていたことになり、かなり壮観な光景だった。 しかし第2次世界大戦で鉄資材が不足し、自慢の鉄傘は43年に軍に供出。大屋根は51年にジュラルミン製で復活したが、範囲はネット裏だけだったので、アルプススタンドの屋根はわずか12年間しか存在しなかった。 補足 (1)甲子園の大屋根は雨よけより、日よけに重点を置かれて設置された。 (2)銀傘は82年にアルミ合金製にふきかえられた。したがって、現在のは3代目である。 (3)銀傘は2009年の改修で、再びアルプス以外の内野全体に架け替え・拡張される。 |
戦争の足跡が甲子園にも残ってるんだね。
16]甲子園に第2次世界大戦の傷跡が残っている場所がある
| 第2次世界大戦で大きな痛手を被った甲子園。今もそのときの傷跡が残っている場所がある。 1945年8月6日。ちょうど広島市内に原子爆弾が落とされたのと同じ日、西宮でも連合軍による大規模な空襲に見舞われた。周辺の民家はほぼ焼き尽くされ、甲子園もグラウンドに5000発もの焼夷弾が突き刺さり、三日三晩燃え続けたという。 その空襲のときにできた傷跡が今も残るのは、球場正面にある役員・関係者出入り口の鉄扉である。これは機銃掃射の弾痕で、数ヵ所がへこんでいるのがはっきりとわかる。戦後60年、この鉄扉は“生き証人”として無言で戦争の悲惨さを伝えている。 補足 (1)壊滅的な被害だけは逃れた甲子園は、戦後すぐの45年10月3日に米軍が接収。接収中は兵舎として活用された。 (2)接収が解除されたのは47年1月10日。全面接収解除は54年3月31日のことである。 |



































